早稲田大学創設者といえば、大隈重信ですよね。
その早稲田大学創設には、犬猿の仲だった福沢諭吉(慶応義塾大学創設者)が絡んでるってご存知ですか?
福沢諭吉と呑んで色々な話をしてたら意気投合して「大隈さんも大学創ったら」と言われたことがきっかけだった。
という面白いエピソードがあります。
そんな大隈重信を大河ドラマ『西郷どん』では、尾上寛之さんが演じます。
早稲田大学創設者の大隈重信が歩んだ人生はどのようなものだったのでしょうか。
目次
西郷どんで尾上寛之が大隈重信役を演じる!
大河ドラマ『西郷どん』で、大隈重信役を尾上寛之さんが演じます。
尾上という名字から、「もしかして歌舞伎役者さん?」と思われる方も多いようです。
きっと、尾上松也さんと名字が同じたからですかねぇ~。
でも、答えはノーです。(^^)
名字が尾上さん繋がりなだけで、兄弟でも親戚でもないそうですよっ。
そこで今回は、尾上寛之さんって・・・?と思われた方のために、どんな素敵な俳優さんかご紹介したいと思います。
尾上寛之さんは、子どもの頃から芸能界で仕事されていて、なんと芸歴20年以上!!!
たくさんの作品に出演されているので、書きだせないくらいなんですよ。
朝ドラによく出演されているので、「朝ドラ王子」とか。。。(^_^;)
それに、色々な役柄を演じられるという事から「カメレオン俳優」とか呼ばれているそうですよっ。
俳優さんですから、そりゃ色んな役柄を演じるのは当たり前なんですけど、とにかく演じる役それぞれが個性的!
演技力に定評があって、最近は特に、シグナルやアンナチュラルで、サイコパスのような殺人鬼のこわ~い役柄がハマってて、ヤバイくらい怖いっ!と話題です。
ま、カメレオン俳優と呼ばれる位ですからね、不気味な雰囲気の演技が上手いってのは、さすがですよねぇ~。
過去の出演されている作品を知ると、「あのときのあの役の人って、尾上寛之さんだったの!?」と、驚かれることも多いのでないかと思います。
異なる役柄を見事に演じるので、観ている人を魅了し、その世界に引き込む!!
まさに演技は折り紙つき!!!
大河ドラマ『西郷どん』では、どんな色(大隈重信)に変わるのでしょうか。
楽しみですね!
大隈重信は、佐賀藩士から大政奉還とともに脱藩?
画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki
大隈重信といったら政治家のイメージが強い人が多いのではないかと思いますが、元は上級階級の佐賀藩士でした。
生まれた家は上級階級なので、トントン拍子に何事も進み、政治の道へ入った。と思われる方も多いと思いますが、幼い頃から我が道を行くタイプで、7歳から(佐賀)藩校で学んだ学校の、教育方針に反発して17歳で退学するなどの豪快エピソードが残されています。
知れば知るほど面白いのが大隈重信という人物です。
この時代の脱藩は、かなりリスキーでした。
もし脱藩して、つかまると…。
・入牢。
・身分剥奪。
・家は取り潰される。
・切腹させられる。
こんなことになりました。
でも、実際は藩にとって重要な人物でなければ、ちゃんと手続きさえすると、藩籍を抜けることは可能だったようです。
よっぽど悪い事をして逃げた。とかでないと追っ手がかかって捕まるなんてことはありませんでした。
ちなみに追っ手も、他領では領主の許可がないと勝手に捕まえらなかったようですね。
脱藩率がどれほどか・・・は、?ですが、さほど珍しくなかったようです。
(うーん・・・じゃ、北朝鮮を脱北する人達よりは多いのかな? ^_^;)
幕末に尊王攘夷思想が広まって、自由に行動するため脱藩をする者が増えていき、政治的中心地(京都など)には、諸藩の同志が志を遂げるため集まってきました。
その頃には、藩側も脱藩を黙認することが多くなってきていたようです。
脱藩した尊王攘夷派の志士で有名なのは、
・長州藩士・吉田松陰
・高杉晋作
・土佐藩士・坂本龍馬
・中岡慎太郎
などなど。
ちなみに大隈重信も尊王攘夷思想派です。
脱藩しても、大店や農村に用心棒として雇われたり、武芸で生計を立てていたようですが、武士を捨てて庶民になる人もいたそうです。
そして、幕末の尊王攘夷派の志士はというと、
・同志、活動を応援する人の援助を得て。
・実家からの仕送り。
といった感じで生計を立てていました。
大隈重信は、アメリカの独立宣言に大きな影響をうけ、政治家になることを決意します。
討幕を目指し、反骨精神の強い大隈重信は将軍・徳川慶喜に大政奉還を勧めるために脱藩を決意。
そして京都に入りましたが成功せず。。。
その後は佐賀に送還されましたが、脱藩の罪は結果的に許されたので、無事に明治維新が実現されました。
そうして大隈重信は、尊王攘夷派として大久保利通や伊藤博文らと明治新政府の基礎を作ったのです。
その後大久保利通らと征韓論に反対し西南戦争へ
明治新政府発足後の日本で唱えられた「朝鮮を武力によって開国させよう」という主張を、征韓論と言います。
当時の朝鮮は鎖国が基本政策としてとられていました。
対して当時日本の政治家たちは、
⬇
武力で開国を迫るべき!!
となっていたのです。
当時の日本が置かれた複雑な状況、朝鮮との関係悪化などから生まれた征韓論。
この状況下を考えると日本にとって意味のあるものでしたが、征韓論をめぐって明治政府内で賛成派と反対派の論争が沸き起こり、明治政府内の意見は真っ二つ。
征韓派の主な人物は、
・西郷隆盛
・板垣退助
・江藤新平
・副島種臣
・後藤象二郎
そして大隈重信は非征韓派です。
他の非征韓派の人物は、
・岩倉具視
・大久保利通
・木戸孝允
・大木喬任(おおきたかとう)
です。
しだいに政争に発展していった結果、征韓論は敗れ、西郷、板垣らをはじめ多くの官僚や軍人が辞職する事となりました。
下野した征韓派によって各地で不平士族の乱や自由民権運動が起こり、最終的には、西郷隆盛による西南戦争。という内戦へと結果、至ってしまったのです。
大河ドラマ【西郷どん】あらすじ(ネタバレ)1話~最終回まで!