当時、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の間で結ばれた薩長同盟

聞いたことはあるけど、実際のところどんな意味のある同盟なのか?

その目的など、内容を知らない人も多いと思います。

 

もし今、薩長同盟が結ばれたら「いいね!」と、話題になるのではないかと思います。

薩長同盟は討幕の起爆剤になったと言われていますよね。

 

日本が近代化していくうえでポイントの高い同盟となるのですが、どういった目的があって結ばれたのか藩の背景を見ていき、その内容を解りやすく紹介していきたいと思います。

 

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目次

薩長同盟に関わった人物

 

 

薩長同盟の成立までには、なが〜い道のりがありました。

どんな人が関わって成立までこぎつけたのか見ていきましょう。

 

薩摩と長州をくっつけるべき!』と最初に判断したのは、誰だと思いますか?

実は日本人ではなくて、イギリスの駐日公使ハリー・パークスでした。

 

イギリスの駐日公使ハリー・パークスが高杉晋作と会談したり、薩摩や幕末の政界で影響力を持つ土佐藩を訪問するなど、西南の雄藩を結びつけさせたことに始まります。

 

土佐藩を脱藩した中岡慎太郎も薩長の同盟に向けて動き出していて、坂本龍馬はそれに合流します。

長州藩は『禁門の変』で朝敵とされ、幕府によって武器の購入を禁じられ、更には長州征伐が囁かれます。

 

そうなると長州藩としては、『何とかして武器が欲しい…。』そういった状況になりますね。。

さて、そこに目をつけたのは坂本龍馬。

 

薩摩から購入した武器を長州藩に横流しすることを提案することで、両藩の歩み寄りを図りました。

 

下関での一度目の薩長会議を西郷隆盛がドタキャンをしたので、同盟を結ぶことは不可能と思われていましたが、坂本龍馬、中岡慎太郎、長州の小田村伊之助が奔走し、再度会談をとりつけることに成功します。

そして、京都の小松帯刀の屋敷に長州藩の桂小五郎が赴く事で、薩長同盟が結ばれる事となりました。

 

この会合では両藩ともメンツがあったので、同盟の話を切り出せずに、時間だけが過ぎていましたが、様子を見にきた坂本龍馬が西郷隆盛に「長州藩は自分から言い出せない立場にいるから、薩摩藩が男を見せてやれ」と言って、西郷隆盛から同盟を言い出すことを承知したと言われています。

 

この時の薩摩藩の出席者は、西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通、吉井友実、島津伊勢、桂久武、奈良原繁です。

長州藩は、桂小五郎、品川弥次郎、三好軍太郎が出向き出席しました。

 

討幕の情勢に大きな影響を及ぼしたこの会談。

桂の記憶をもとに六か条にしたためられ、坂本龍馬が立会人として裏書をしたものが、現在も宮内庁に所蔵されています。

 

長州と薩摩が何故、手を組む(同盟)事になったのか?その目的とは?

 

長州と薩摩が何故手を組む事になったのか?その目的とは?

 

薩長同盟を結ばれて一番困ったのは、徳川幕府です。

この頃の長州藩は、攘夷を掲げた倒幕運動を起こしていたので、長州藩は倒幕派のリーダー的な存在でした。

 

長州藩を倒せば、幕府の力を示すことができる!と考えた徳川幕府は、各藩に長州討伐を命じていました。

で、この長州討伐のリーダー格だったのが薩摩藩。というわけです。

 

薩長同盟が結ばれたと知った時、幕府は焦ったでしょうねぇ〜。

相当困ったと思います。

 

とはいえ、薩長同盟までの道のりは簡単ではありませんでした。

何といっても、薩長は犬猿の仲で、めちゃくちゃ仲が悪かったので、まず同盟を結ぶなんてびっくりな話ですが。。。

 

では、なぜ薩長同盟を結ぶことになったのでしょうか。

それぞれの藩の事情を、見ていきたいと思います。

 

 

〜長州藩の事情〜

幕府に目の敵にされ続けてた長州藩は、朝敵(天皇の敵)ともされていたので、武器の購入を禁止されて武器が手に入れらない。といった、かなりピンチな状況。

つまり、各藩から攻め込まれたら、絶体絶命な状況にあったのです。

薩長同盟を結び武器がゲットできるのは、藩にとって大チャンスとなりました。

 

 

 

〜薩摩藩の事情〜

・戦争回避。

・倒幕希望。

 

 

薩摩藩は薩英戦争後、親交のあるイギリスや琉球藩との繋りで財政が潤っていました。

 

力の弱まっていた幕府からすると、実は薩摩藩のこの状況はかなりの脅威に感じていたので、薩摩藩の力を弱めるために長州討伐という名目で薩摩藩に長州藩を攻めるように命じた。というのが本音です。

 

薩摩藩からすると、ここで長州藩と戦争をすればそれだけたくさんの犠牲がでますし、お金も使うので経済力も衰えてしまいます。

 

しかも、この時の幕府の考え方は雄藩否定論(力のある藩は潰せ的な)の風潮があり、長州に勝ったとしても次は薩摩藩が潰されるかも…。という心配がありました。

 

で、たとえ幕府に目をつけられたしても、長州が主だって幕府と戦う方が薩摩にとっては良かったのです。

これが薩長同盟だったのですね。

 

つまり、薩長同盟はお互いの利害が一致した。というのが一番の理由です。

この薩長同盟と幕府の敗戦によって、世論は幕府を解体して開国へと傾いていくことになります。

 

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薩長同盟を結んで結局のところ、どうなったの?

 

薩長同盟を結んで結局のところ、どうなったの?

 

薩長同盟は、

・長州藩 → 薩摩藩を通し武器が手に入る。

・薩摩藩 → 戦争が回避でき、表立って倒幕運動したくない。

という利害関係が一致しました。

 

つまり薩長同盟を結ぶことで、薩摩藩は長州藩が幕府と戦争する手伝いをしたのです。

結果、薩長同盟によって大打撃を受けたのは徳川幕府です。

 

薩長同盟でニ藩が繋がっているとは知らない幕府は、第二次長州征伐を命令した時、薩摩藩に出兵拒否され驚きますが、長州討伐は決行しました。

 

結果、長州藩は攻めてきた幕府軍に勝利。

そして薩長同盟による幕府の敗戦で、開国に向けだんだん動き出していくのです。

 

薩長同盟後、西郷隆盛や坂本龍馬が波乱万丈な人生を送ります。

それだけ幕末の動きは複雑だったということがわかります。

 

この同盟の実現によって、長州藩は薩摩藩から武器の入手に成功。

 

この武器のおかげで長州藩は第二次長州征伐に勝利でき、江戸幕府の衰えがはっきりしました。

とはいえ薩長同盟直後が、江戸幕府の滅亡に直接の影響を与えたのではありません。

 

二藩は1867年に出兵協定を結び、これによって両藩の関係は深まっていきます。

討幕運動は両藩を中心に行われたことを考えると、段々と深まった両藩の関係が時間と共に江戸幕府の滅亡に大きな影響を与えた。と言えるのではないかと思います。

 

薩長同盟の内容に基づき「第二次長州征討」に薩摩は不参加。

出兵の正当性を疑うような動きをみせ、物心両面での支援により、長州は戦いを有利に進めました。

 

戦況は長期化の一途をたどります。

第14代将軍・徳川家茂が大阪城で死去。

 

後継の徳川慶喜が将軍職に就き、徳川将軍職は空位のままで、幕府の混乱に拍車がかかる状況。

慶喜は、一度は出陣しますが、戦況不利な状況に長州征討の中止を申し出ました。

 

明治維新への大きな流れを止めることができなくなった幕府は、薩摩藩や長州藩など雄藩への影響力を失い、江戸幕府は滅亡したのです。

 

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